境内散歩
みどころ
神社が建立される遥か昔
この境内は 田んぼ だったとか
今でも田んぼに囲まれた
村の鎮守さま
小さな境内をご案内します
手水舎
令和元年 御大典奉祝事業の一環として立て替えられた手水舎 東日本大震災をはじめ 幾度の地震を受け倒壊の恐れが高まっていました
流れ出る水は 山の湧き水を用い 365日枯れることなく水鉢を満たしています
水の無い場所で祭典に臨む前 花を愛で「心を清らか」にしていた「花手水」コロナ禍より昔からの「清め」の方法を取り入れています
境内や野山に咲く季節の草花を生け 参拝者の心を和め清めます
流れ出る水は 山の湧き水を用い 365日枯れることなく水鉢を満たしています
水の無い場所で祭典に臨む前 花を愛で「心を清らか」にしていた「花手水」コロナ禍より昔からの「清め」の方法を取り入れています
境内や野山に咲く季節の草花を生け 参拝者の心を和め清めます
ご神木
境内で一番古い「大杉」が当社のご神木
樹齢は400年ほどと推定されており 幹周りの太さは約5メートルにも及びます
ご神木の左右にも杉の古木が聳え 夏は木陰を作り 涼をもたらします
秋になると境内は杉の落ち葉が敷き詰まります
ご祭神 高皇産霊神はその別名を「高木神~タカギノカミ~」と申し
高い木を神格化したとされ
ご祭神を象徴するかのように社殿の真正面にそびえ立っています
樹齢は400年ほどと推定されており 幹周りの太さは約5メートルにも及びます
ご神木の左右にも杉の古木が聳え 夏は木陰を作り 涼をもたらします
秋になると境内は杉の落ち葉が敷き詰まります
ご祭神 高皇産霊神はその別名を「高木神~タカギノカミ~」と申し
高い木を神格化したとされ
ご祭神を象徴するかのように社殿の真正面にそびえ立っています
稲荷神社
古くはある一族の守り神として
山の中に祀られていましたが
いつの時代か 高司神社の横にお遷しされました
囲屋の傷みが酷く 宮形に納められた
神の「依り代」も朽ち果てていた事をきっかけに
令和2年に社殿を改修
同年8月25日伏見稲荷大社より御分霊を授かり
同年9月10日鎮座祭を行いました
今では 食物の神 生産の神 商売繁盛の神として
崇められています
山の中に祀られていましたが
いつの時代か 高司神社の横にお遷しされました
囲屋の傷みが酷く 宮形に納められた
神の「依り代」も朽ち果てていた事をきっかけに
令和2年に社殿を改修
同年8月25日伏見稲荷大社より御分霊を授かり
同年9月10日鎮座祭を行いました
今では 食物の神 生産の神 商売繁盛の神として
崇められています
天皇社
ご祭神 須佐之男命(スサノオノミコト)
大気都比売(オオゲツヒメ)から成り出た蚕・稲・粟小豆・麦・大豆を神産巣日神の命により 須佐之男命が地上にもたらしたと言われています
この神は 牛頭天王や武塔神といった行疫神と習合し同一の神とされ 明治期の神仏分離まで 牛頭天王社と呼ばれている所が多くありました
高司神社ご本殿の左側にお鎮まりになっています
一列に並んだ石の祠
目や脚などにまつわる神を祀るとされていますが
由来詳細は知る由もありません
大気都比売(オオゲツヒメ)から成り出た蚕・稲・粟小豆・麦・大豆を神産巣日神の命により 須佐之男命が地上にもたらしたと言われています
この神は 牛頭天王や武塔神といった行疫神と習合し同一の神とされ 明治期の神仏分離まで 牛頭天王社と呼ばれている所が多くありました
高司神社ご本殿の左側にお鎮まりになっています
一列に並んだ石の祠
目や脚などにまつわる神を祀るとされていますが
由来詳細は知る由もありません
ご社殿
現在の拝殿は明治10年に建て替えられました
古文書によると立替理由は「大破の為」と記されています
明治天皇御即位10年の節目でもあり
当時に思いを馳せますと 奉祝の気運も高まっていたのでありましょう
平成6年には大改修が行われ
平成23年の東日本大震災の破損箇所を修繕
現在の装いとなっています
ご本殿は覆屋で保護され
室外から見ることはできません
約1間四方ほどのご本殿が納められています
古文書によると立替理由は「大破の為」と記されています
明治天皇御即位10年の節目でもあり
当時に思いを馳せますと 奉祝の気運も高まっていたのでありましょう
平成6年には大改修が行われ
平成23年の東日本大震災の破損箇所を修繕
現在の装いとなっています
ご本殿は覆屋で保護され
室外から見ることはできません
約1間四方ほどのご本殿が納められています